こころの休憩所『yu-nagaのブログ』

様々な角度からこころの健康について綴っています。

「ネガティブ・ケイパビリティ」〜人を癒すのは愛〜

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あなたは『ネガティブ・ケイパビリティ(Negative Capability)』という言葉を

聞かれたことがおありでしょうか?

 


ちょっと難解な言葉ですが、

 

直訳しますと

 

「負の能力」「陰性能力」

 

ということになります。

 

これは

 

「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」

 

のことを指しています。

 

 

 

能力と言いますと、

 

普通は

 

何かを成し遂げる能力

 

を意味していますが、

 

ここでは

 

何かを処理して

 

問題解決をする能力ではなく、

 

そういうことをしない能力が推奨されているのです。

 

 

 

元々この言葉は

 

イギリス・ロンドンの詩人、

 

ジョン・キーツ

 

1817年に

 

2人の弟に宛てた

 

手紙の中で使った言葉でした。

 

 

 

キーツが手紙の中で

 

ただ一度だけ、

 

したためたこの言葉は、

 

当時、

 

決して世間に

 

顧みられることはありませんでした。

 

 

 

しかし、それから

 

約150年が経過した

 

1970年になって

 

英国の精神分析医・ウィルフレッド・R・ビオンが

 

その著書の中で

 

ネガティブ・ケイパビリティ』は

 

精神分析の分野でも不可欠だと説き、

 

その領域は精神医学のみならず、

 

文学、芸術へと一気に広がりました。

 

 

 

そして、

 

作家で精神科医

 

ペンネーム・帚木逢生(ははきぎ・ほうせい)さんが

 

米国精神医学雑誌のページをめくっている時に

 

偶然この言葉を目にし、

 

帚木さんがその著書の中で

 

この言葉をとり挙げたことをきっかけに

 

日本でも広まりました。

 

 

 


ある時、

 

帚木さんが後輩から

 

「なかなか治らない患者さんを

 

どこか別の先生に紹介しようと

 

思っているのですが…」

 

との相談を受けたそうですが、

 

「せっかくあなたを慕ってきている患者さんを

 

診続けることが

 

ネガティブ・ケイパビリティ“なんじゃないですか?」

 

と答え、

 

後輩は大いに納得されたそうです。

 

 

 

 

患者さんは、

 

誰も見ていないところでは

 

絶えられないような苦しみも、

 

主治医が見ていてくれていれば

 

耐えられることがある。

 

これを帚木さんは

 

“目薬”と呼んでいます。

 

 

 

また、

 

長く続く苦しみにも

 

時間の経過が

 

薬代わりとなる

 

“日薬”があり、

 

「がんばって」

 

とか

 

「耐えましょう」

 

ではなく

 

「めげずにね」

 

といった言葉が

 

“口薬”

 

となる場合があります。

 

 

 

その

 

「“目薬・日薬・口薬“」

 

の先に

 

共感が生まれる

 

と帚木さんは言います。

 

 

 


帚木さんが

 

医局に入って間もない頃、

 

暴れている患者さんの家族から

 

『入院させて下さい。

 

家の中がめちゃくちゃになってしまいます。』

 

と懇願され、

 

入院したくない

 

と言っている本人に、

 

汗だくになりながら

 

長時間かけて

 

相手の気持ちを聞き、

 

入院の承諾を得て

 

入院させたところ、

 

3ヶ月ちょっとで

 

退院することができ、

 

家族からも

 

大変感謝されたそうです。

 

 

 

 

 

その時

 

上司の先生は、

 

帚木さんのこの対応を

 

『すったもんだ療法』

 

と名付けました。

 

 

 

先が見えなくても、

 

とことん付き合って

 

すったもんだした方が

 

物事はうまくいく

 

ということの

 

一例だったようです。

 

 

 


また、

 

アフリカの伝統治療師は、

 

手の施しようのない患者に対して、

 

家族や友人を呼んで

 

遠く離れた山に

 

薬草を取りに行かせるそうです。

 

家族や友人が

 

自分のことを心配して

 

そこまでしてくれた

 

と思えることが、

 

患者さんとっては

 

“目薬”

 

になりますし、

 

その長旅に

 

何週間も何ヶ月も

 

かけてくれたことが

 

“日薬”にもなります。

 

 

希望を持って待つことが

 

自然治癒力を高め、

 

どうにもできない状況を

 

ネガティブ・ケイパビリティ』で、

 

持ちこたえているうちに

 

病状は好転し、

 

快方に向かうのです。

 

 

 

 


上記の2つの例が

 

教えてくれているのは、

 

人が癒されるというのは、

 

自分は

 

こんなにも大切にされている、

 

こんなにも愛されている存在だと

 

思えることであり、

 

関わる側にとっては

 

「どうにも答えの出ない、

 

どうにも対処しようのない事態に

 

耐える能力」

 

という

 

ネガティブ・ケイパビリティ

 

何もしないようでいて、

 

実は

 

とてもエネルギーの要ることなんだ

 

ということを

 

私たちに教えてくれている

 

のではないでしょうか。

 

引用文献:  The Big Issue Vol 476 より

頭が悪いことも必要⁉️

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ちょっと露骨なタイトルですが…

 

日本の物理学者であり、随筆家、俳人である

 

寺田寅彦氏は

 

「科学者と頭」という著書の中で

 

こんな風に語っています。

 

 

 

 

『いわゆる頭のいい人は、

 

いわば

 

脚の早い旅人のようなものである。

 

 

 

人より先に

 

人のまだ行かないところへ

 

行き着くこともできるかわりに、

 

 

途中の道ばた、

 

 

あるいは

 

 

ちょっとしたわき道にある

 

肝心なものを

 

見落とす恐れがある。

 

 

 

頭の悪い人、

 

脚ののろい人が、

 

ずっと後から

 

おくれて来て

 

わけもなく

 

その大事な宝物を

 

拾って行く場合がある。』

 

 

 

と述べています。

 

 

 

 

「科学者は頭が良くなくてはいけない」

 

というのは

 

当たり前のことに

 

思えます。

 

 

 

しかし、寺田氏は

 

 

「科学者は頭が悪くなくてはいけない」

 

 

ということも

 

ある意味で本当だ

 

と書きました。

 

 

 

頭の良い人を

 

足が速い旅人に例え、

 

すいすいと

 

先に進むと

 

大切なものを見逃し、

 

そうでない人は

 

ゆっくり歩くので

 

落ちている宝を

 

拾える

 

と説明します。

 

 

 

つまり…

 

 

頭がいいだけでは

 

研究は

 

うまく行かないのです。

 

 

 

頭の良い学者は

 

これから先に

 

何があるかを

 

考えつきます。

 

 

 

だから

 

 

難しくて大変だ

 

 

と分かったら、

 

進む勇気を失う

 

 

 

と寺田氏は言います。

 

 

 

頭の悪い学者は

 

人がつまらない

 

と思うことでも

 

一生懸命続けて、

 

重大な結果を

 

見つける

 

というのです。

 

 

 

 

 

不器用で、

 

おっちょこちょいの私は

 

失敗しては

 

落ち込み、

 

自分を

 

ダメだなあと

 

時に思ってしまいますが、

 

寺田氏の文章を読んで

 

「あ、こんな自分でもいいんだ」と

 

大変励まされました。

 

 

 

 

どんな自分でも

 

OK 

 

ということですね。

 

 

 

引用文献

河北新報:「見つけた!ことばの宝物」

(2024.2.25付)

 

 

まずは口先だけから始めよう

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「あいつは口ばっかりだ」という言葉とか、

 

また

 

「いつか、いつかと、言っている人間は

 

いつまで経ってもやらない」 

 

 

などという言葉や格言を耳にされたことがおありではないでしょうか?

 

 

 

 

しかし……

 

『あの格言は大嘘です。』

 

 

 

 

こう断言するのは、

 

コミュニティマーケッター・出版プロデューサー・講演家の

 

 

田中克成氏。

 

 

 

 

田中氏によりますと

 

 

『500人以上の成功者の半生を

 

1年ずつ細かくインタビューしましたが、

 

どんなに偉い経営者も

 

「いつかいつか」と

 

言っている時期が必ずありました。』

 

 

 

 

 

というのです。

 

 

 

更に

 

人が行動を起こせるようになるには、

 

4つのステップがあるとのこと。 

 

 

 

 

最初のステップは…

 

 

 

①「不言不実行」

 

  です。

 

 

「言いもしないし、やりもしない」時期。

 

わかりますね。

 

 

 

次のステップは…

 

 

②「有言不実行」です。

 

 

 

「夢や目標を語るけれど、行動はできない」

 

という時期。

 

 

 

この時期が長く続くと、

 

周囲から

 

 

「口だけ!」

 

とか

 

「行動しろ!」

 

 

 

なんてひどい言葉を

 

浴びせられるようになります。

 

 

でも、ここで

 

 

「口だけ」

 

 

を辞めてはいけないのだそうです。

 

なぜだと思いますか?

 

 

それは…

 

 

 

 

『有言不実行を

 

意地と

 

気合いと

 

根性で続けていくと、

 

いつまでも行動できない

 

自分自身に嫌気がさして、

 

勇気を振り絞り

 

行動を起こせるようになります』

 

とのこと。

 

なるほどですね🤔

 

 

 

 

そして

いよいよ次は…

 

 

③「有言実行」

 

のステップ。

 

 

 

夢や目標を語り、

 

行動も起こす。

 

すると、

 

夢や目標が

 

現実に

 

なっていき、

 

行動を起こすことに

 

抵抗が薄れていきます。

 

 

 

そして、

 

 

当たり前に

 

行動を起こせる

 

ようになると………

 

 

 

 

口にするよりも早く

 

行動している

 

 

 

④「不言実行

 

 

の人になるとのこと。

 

 

 

『今すぐに実行できなくても構いません。

 

まずは口だけでいいので、 

 

自分が行動を起こせるその日まで

 

「いつかいつか」と、

 

夢や目標を言い続けて下さい。

 

断言します!

 

いつかいつかは、

 

いつか必ずやってきますから!』

 

 

 

励まされる言葉ですね‼️☺️

 

まずは口先だけから始めましょう‼️

 

 

引用文献

「自分をよろこばせる習慣」

田中克成著/すばる舎

「春」という漢字が意味するもの

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新年が明けたと思いきや、

 

はや1ヶ月が過ぎようとしています。

 

暦の上ではもうじき春ですね。

 

 

 

「春」という漢字は、

 

漢数字の『三』に『人』

 

のような字を書きます。

 

 

 

この漢字の上半分は、

 

草が、

 

根を深く伸ばした様子を

 

描いています。

 

 

 

そして、

 

その下の「日」という字は、

 

太陽をあらわしています。

 


つまり、

 

寒い冬の間、

 

土の中で少しずつ伸び、

 

命をつなげていた

 

草の根っこが


あたたかな

 

光の恩恵を受けて、

 

ようやく

 

地上に新しい芽を出した

 

その姿が

 

「春」という字

 

になったのです。

 

 

 

古代文字が

 

表しているのは、

 

日の光を浴びて、

 

草の根や芽が

 

伸びようとする姿

 

なのです。

 

 

 

 

『冬来りなば春遠からじ』

 

 

ということわざがありますが、

 

たとえ

 

今の状況が

 

どんなに不遇で

 

あったとしても

 

厳しい冬から

 

季節が巡り、

 

やがて

 

暖かな

 

春の日が訪れるように

 

明るい希望の日々が

 

待っていることを

 

信じていきたいですね。

 

*参考文献 TOKYO FM『感じて漢字の世界』

      『読んでわかる俳句 日本の歳時記 春』(小学館

 

明日の自分は今と全く違う存在なのだ!



動的平衡』という言葉をご存じでしょうか⁉

 

 

この言葉の意味は

 

「生命とは分子を入れ替えながらその同一性を保っているものである」

 

と定義されます。

 

ちょっと難しいですね。

 

 

分子生物学者の福岡伸一さんはこのように説明します。

 

 

「食べ物で説明すると、このようになります。

 

食べ物は分子レベルに分解された後、脳や臓器、血液など

 

体の隅々にまで行き渡り、細胞成分の一部となってしばらく体内にとどまった後、

 

再び分解されます。

 

そして新たに体内に取り込まれた分子と交換され、

 

さらには呼吸中の二酸化炭素や尿や便として排出され、

 

ジグソーパズルのように次々と置き換えられていくのです。」

 

と説明します。

 

 

さらにこう説明しています。

 

「60兆の細胞から成り立っている人間の体は、

 

せせらぎによってできたよどみのようなもの。

 

水は絶え間なく流れ込み、

 

いったんよどみを形成しまた流れ出る。

 

私たちの生命は受精卵が成立した瞬間から始まり、

 

脳細胞や心臓の細胞は分裂せず、

 

ずっと存在しているように見えますが、

 

その中身は入れ替わっているのです。

 

他の細胞は細胞ごと入れ替わっています。

 

これが『動的平衡』。

 

つまり、

 

今日と明日の自分は全く違う存在なのです。

 

行く川の流れは絶えずして、

 

しかも もとの水にあらず

 

です。」

 

毎日同じように日が過ぎていき、

 

毎日変わらないな、

 

と思ってしまう時がないでしょうか。

 

しかし、私たちの体の中の細胞は絶えず入れ替わっています。

 

私たちの体は常に新しく生まれ変わっているのです。

 

今のこのままのこの私が最高なのです‼️

 

 

 

 

 

 

心の記念碑

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アメリカ・アラバマ州エンタープライズ市に

は、ちょっと変わった記念碑があります。

 

それは、功績のあった人物ではなく、

ある害虫の功績を称えているのです。

 

 

 

 

1990年代初頭、

ワタミハナゾウムシ』という

害虫が、

メキシコから侵入し、

2~3年のうちに、

この地域の主な収入源であった

綿花の生産に

壊滅的な被害を与えました。

 

 

 

そこで、

ある植物学者が

勧めた作物が、

ピーナッツでした。

 

その結果、

この地域には、

以前にも増して

経済的繁栄が

もたらされました。

 

この害虫が

襲ってきたおかげで、

人々は、

一つの作物に

長く依存してきたこと

に気づき、

経営の多角化

図る必要に

迫られました。

 

 

 

それで、

経済の活性化を

もたらした

この害虫の功績を称え、

記念碑が建てられた

というわけです。

 

 

 

私たちの人生にも、

今まで懸命になって

築き上げたものを

壊してしまう

「侵入者」に

出会うかもしれません。

 

 

 

しかし、

エンタープライズ市の

人たちが学んだように、

古いものを失うことは、

新しいチャンスの入り口

かもしれません。

 

 

 

問題の只中にいる時は

そのことだけしか

見えませんが、

後で振り返ってみると、

「あのことがあったからこそ、

今の自分がいる」という事が

あなたにも

あるのではないでしょうか。

 

 

 

それがあなたの

心の記念碑です。

『心の安全基地』

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かつて私は、

 

高校の英語の教師をしておりましたが、

 

行き詰まりから、

 

遂には、自殺未遂を図ってしまいました。

 

九死に一生を得て助かったものの、

 

実家に引きこもりの生活でした。

 

 

 

 

そんな私が、

 

思い切って米沢へと参りましたのが、

 

もう28年も前の話です。

 


こんな自分でも受け入れられ、

 

自分の

 

置かれているところで精一杯

 

生きていくことでOK

 

という人生観を知り、

 

それまでの、

 

自分にないものに目を向け、

 

そこを何とか埋めなければ

 

という生き方から、

 

すでに自分にあるものに

 

目を向けていく

 

生き方へと

 

変えられていきました。

 

 

 

 


しかし、

 

そんな自分でも時折、

 

自分の実体不足、

 

能力不足を見せられ、

 

苦しくなってしまうことがあります。

 

 

 

 

ある時、牧師先生から

 

「気楽にやっていいんだから」

 

とお声をかけて頂いた時に、

 

肩の荷がフッと

 

軽くなった瞬間が

 

ありました。

 

 

 

 

私は、

 

実力以上に

 

頑張ろうと

 

していたようです。

 

 

 

 

また、

 

先日帰省した折に、

 

ふと母が漏らした

 

「由宇が生きててくれて良かった。

 

そうでなかったら

 

顔を上げて

 

生きてこれなかった。」

 

という母の言葉によって、

 

私自身の存在が

 

温められた

 

思いがしました。

 

 

 

 

 

現在私は、

 

常駐のスタッフから外れ、

 

外の仕事がメインの

 

生活スタイルになりました。

 

 

 

私の外なる人doing

 

としては、

 

何らかの成果を

 

要求される

 

厳しい世の中の

 

只中にいます。

 

 

 

時に、

 

頭が蒙昧し、

 

要求される現実に

 

押し潰される

 

思いになる

 

ことが

 

度々あります。

 

 

 

 

 

しかし、

 

私の内なる人、

 

beingとしては、

 

『主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」

 

と言われた。

 

だから、わたしたちは、はばからずに言おう、

 

主はわたしの助け主である。

 

わたしには恐れはない。

 

人は、わたしに何ができようか」。

(ヘブル人への手紙第13章5-6節)

 

この御言葉に支えられている日々です。

 

 

 

 


このように

 

心温められる

 

言葉の中に、

 

自分の身を置いて、

 

自分自身を慰め、

 

励まし、

 

自分の心の

 

メンテナンスをする

 

〝心の安全基地〟が私たちには必須なようです。

 

あなたにとっての

 

心の安全基地とは

 

どんなものですか?